俳句は、主観があればもう俳句ではないらしい。
完全な客観。それが俳句だという。
それは、カメラのようなものか。
目前の在るがままの景色を五七五の枠の中に切り出す。
それは、宇宙をも表現することができるという。
だとしたら、それは何と素敵なものなのだろう。
いままで俺は俳句と川柳を同一視していたようだ。
何ということだ。
俳句というものがどういうものか、その一端がようやく理解できた気がする。
理解できて、思う。
俺は、きっと俳句の世界と相性が良い。
思い込みかもしれないが、そういう予感がする。
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