五分前世界創造仮説とは、「私たちが現在もっている一切の記憶を備えたかたちで五分前に世界は創造された」という仮説のことである。また、ここでいわれる五分前は例えであり、別に五秒前であっても五時間前であってもいい。
この仮説によって主張されていることは、私たちにとって確実なのは「いま現在記憶している」ということだけである。そして、その記憶の内容が誤っている可能性があるが、それについて確認することができないということである。ここで言われる誤った記憶というのは、過去の出来事と記憶している内容との間に不一致のあるもののことである。
つまり、この仮説では、記憶であれ記録であれ、それでは「過去そのもの」を直接知ることができないということが主張されているのである。
私は、この主張から過去というものについての捉え方がふたつあるのではないかと思う。
ひとつは実在的な過去であり、もうひとつは構成的な過去である。実在的な過去とは、つまり自然的な「過去そのもの」という意味であり、構成的な過去とは、つまり記憶や記録から作られた人工的な、いわゆる「歴史」と呼ばれるものである。
そして、この仮説は我々にとって過去というものは実在的なものでなく、構成的なものであるのではないかということを主張しているのではないかと、私は思う。つまり、私たちにとって過去とは、私たちの記憶や記録から作り出された、歴史でしかないといえるのではないだろうか。
そして、私は、この仮説は、たとえ私たちの記憶や記録が誤っていたとしても、それによって歴史を作り上げることができてしまうというということをほのめかしているのではないかと思うのだ。
できるだけ暗記。要所要所覚えて、自分で作り直してもよし。
まあ大丈夫だろう。。。きっと。
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