俺が演劇部というサークルに入ったのは、芝居を見ることが好きだったわけでも、芝居をするのが好きだったからでもない。あのときの俺は、何か新しいことをしたいと思っていて、タイミング良くS先輩から勧誘を受けたからやってもいいかなと思って入ったのだ。
入部して大学が夏期休暇になったころに、「ABOUT」という名前の芝居の演出を担当した。いまから思い返してみると、もっと面白く演出することができたかもしれないと思う。人が集まらなかったりと、いろいろとあったけれど、その中で俺はただ始めから終わりまで何事もなく終わるように演出していたように思う。けれど、多分それだけじゃいけないのだと、最近は思う。役者が台本の通り台詞を語り、演技をするだけじゃ芝居としてはまだまだだったのだ。あの手この手を使って、始めから終わりまで何事かがあるように演出をしないといけないなと、最近は思う。
一年の冬公演は、親戚の結婚式とブッキングしたため、あまり協力できなかった。音響で使う音源の加工をしたくらいかな? けれど、確かこの芝居の練習を通して、芝居に必要な装置や音源、衣装メイク小道具、その他諸々の準備を余裕をもってしないといけないなということを実感したはずだ。「ABOUT」の時点でも実感したはずだが、それがますます強くなったのだ。
そして、幹部交代式。ここからが、あまり語りたくないことの始まりなのだった。
冬公演が終わり、幹部交代式まで一週間。何をするべきか大まかなことは決まっていたように思う。けれど、誰が、何をするのか、それが決まっていなかった。俺はそのとき時期部長になるTが何らかの指示をするだろうと思い、指示を待っていた。けれど、なぜかTは何も指示を出してこない。不安が募るばかりだった。
この辺のことは、OCNのほうのブログの12月半ばに書いてるので割愛する。読み返してみると、組織としてどうやったら上手く動けるかということを考えていた。けれど、それは組織の中心に立つ人が考えるべきことなのだろう。俺は立場ってものを強く意識するあまりに、中心に立つこともできないまま、組織を動かせないということに歯噛みをしていた。多分OCNのブログにいろいろ書き残しているはずだ。
そして、二年の春公演のために準備を進める。また俺が演出、TとYが役者、Hは裏方。なんというか、演出の俺がいうのもなんだけど、公演中止にしたいと思った作品になってしまった。俺は演出はハンドルとブレーキの働きをすればいいものだと思い、役者がアクセルをどんどん踏んで芝居に生を与えて欲しいと思っていた。けれど、どちらもアクセルを踏み込んでくれないのだ。
そもそも、台本を指定した日までに覚えてくれなかったことも痛かった。昨日やって良くなったところが、今日やってダメになるとかいうところも痛かった。何よりも痛かったのは、装置や衣装の準備ができなかったところが痛かった。
この春公演に向けての期間が、俺をウンザリさせるには充分すぎる期間だった。この期間で学んだことは、集団の中で、一人で頑張ってもしょうがないということか。組織というものは、一人ではできないことを集団でやることで、その達成を目指すものなのだ。だから、組織にいる人間が、少なくとも“何を”したいために一緒にいるのかを一致させる必要がある。
春公演も終わり、前期の授業も開始した中、新入生部員が入ってきたり、嬉しいこともあった。まったく成長しない、TやYに対しての苛立ちもあった。
前期も終わりに近づいた頃に、また新入生部員が入ったけれど、その子は結局止めてしまった。思えば、これがきっかけで、休部届けを部長に出すようになったのかもしれない。
その子は、演劇よりもやりたいことがあるといって、まあ二年全員に相談メールを送っていたそうだ。辞めようか、辞めるまいか。俺は、やりたいことがあるなら辞めればいいという返事を返したのだが、ここで「自分はいま何がしたいのだろう」と振り返ったら、もう演劇をしたいとは思っていないことに気付いたのだ。
俺が部を動かさないといけないという理由が、どこにもなかったということに気付いてしまった。俺が芝居をやりたくて、そのために部を動かさないといけないというわけでもない。ただ部に所属しているからというそれだけで、部を動かさなくてはいけないと思い込んでいただけなのだった。俺は部を動かさないといけないという立場にいるわけでもない。
勝手にそう思い込んで、勝手に苦労してきただけだった。そう思い込まなければ、やっていられなかったのかもしれない。
そして、夏期休暇に入って、休部届けを出した。同輩や後輩がどう思ったとしても、俺はやりたいことをやる。惰性で動いて後悔することは、もうしたくないからだ。
戯曲を書こう、と思いアイデアをメモし、構成を考えているけれど、それをあの組織でやりたいとは思えないことに気付く。約束を破ってしまうけど、他のやりたいことにもっと時間を注ぎたい。だから、すみません。戯曲を書くことははもう諦めようかと思います。
いまのところ、サークル活動を再開しようとする気はないです。部の誰かが助けを求めたりすれば、出来る限りのことはするつもりだけど、多分誰も助けを求めない。助けを求めるという選択肢すら、失っているのかもしれないし、そもそもその必要がないだけかもしれない。
こうやって回想して、演劇がやりたくないわけじゃないということに気付く。ただ、あの組織の中で演劇をやることを厭っているのだ。