コメントによれば甘い考えらしいけど、それでもいまの俺には痛みに耐えることが良いことだとは思えないわけだ。
さて、痛みに対して耐えるということは止めたほうがいいと俺は書いたけれど、では他にどんな対処法があるのだろうか。それをちょっと書き留めてみる。
ぱっと思いつくのはふたつある。ひとつは、痛みを感じなくする方法。ひとつは、痛みを取り除く方法。
前者の方法は、痛みに対して強くなるという対処法かな。具体的にどうすればいいのか、良い例が思いつかないけど、少なくともこれは、痛みと向き合うことをしなければ強くなれないんじゃないかなと思う。痛みに対して強くなるということは、痛みを乗り越えることともいえるかもしれない。
後者の方法は、痛みとなる原因との関係を絶つという対処法。多分、これができる痛みというものは極めて少ないと思う。しかも、それができたとしても、再発する可能性もあるだろう。悪く言えば、痛みから逃げ出す方法とも言えるかもしれない。個人的には、あまりこっちの対処法をとらないほうがいいと思う。向き合うのも苦しいほどの痛みなら、一時的にとったほうがいいかもしれないが。
痛みに耐えるってことは、痛みに対して何もしないということなんじゃないかな。少なくとも俺は、そういう考えなのだ。
何もしないということは、何も変えられないということで、痛みに耐えるということは、そのままずっと痛み続けなければならないということになるんじゃないかという不安があるのだ。
そりゃあ、痛みが自然になくなることはあるかもしれないけど、とすると自然にまた生まれてくることもあるかもしれない。そしたらまた耐えなきゃいけないようになるというのか? そんなのは俺は嫌だよ。
痛みの原因となるものがきても、それに対して痛みを感じないようになるべきじゃないのか。
もしかして、痛みに対して何もできることがないから耐えることしかできないのかな。向き合うことも逃げることもできない痛みが、この世の中にあるというのか。だとしたら、それについてはもう耐えることしかないのかもしれないけれど、まだ俺はそういう痛みとであったことがない。
しかし、俺にとっての痛みって何だろうな。。。
何というか、拡大解釈すれば何にでもなってしまう。
結局、何に対してでも向き合えっていうことなのかもしれない。
それがああなるとは、ひねくれているな。
ま、そのときの思うがままに書かなきゃ、つまらないと思うからあれでいいんだが。
甘い考えに対する捕捉はこれで終わります。こっちのブログに書いたのは、何かあっちに書くと言い訳がましいように思えたから。