労働とは穴掘って埋めることの繰り返しか?
火を着けて消すことの繰り返しか?
資本論を読んでみようかな。
火を着けて消すことの繰り返しか?
資本論を読んでみようかな。
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和音という縦、進行という横の組み合わせがひとつのフレーズを作り出す。
フレーズひとつ繰り返すだけで音楽はできる。
しかし、それは単純で単調な音楽である。
音楽はさらに、異なるフレーズを同じくすることで奥行きを作り出す。
フレーズを繰り返し、その繰り返しの中に異なるフレーズを埋めたりすることもできる。
音楽製作とは、フレーズを作り出し、組み込んでいく作業なのかもしれない。
少なくとも俺の描く音楽製作はそういうものなのだろう。
久々に音楽製作で音楽が作れた理由は組み合わせたからだろう。
フレーズひとつ繰り返すだけで音楽はできる。
しかし、それは単純で単調な音楽である。
音楽はさらに、異なるフレーズを同じくすることで奥行きを作り出す。
フレーズを繰り返し、その繰り返しの中に異なるフレーズを埋めたりすることもできる。
音楽製作とは、フレーズを作り出し、組み込んでいく作業なのかもしれない。
少なくとも俺の描く音楽製作はそういうものなのだろう。
久々に音楽製作で音楽が作れた理由は組み合わせたからだろう。
他人事ではないけど、バレなければ許されるという考え方が暗黙のうちに正当化してしまっているんじゃないかと思う。そのツケが現在の食に関わる事件で顕になってきているだけなのだ。
たとえバレなくとも、その行いが不当であり、何者かに被害を及ぼすものであるならば、その行為は、どのような言葉を用いようとも、悪なのである。それが悪なのであるから、バレた時にはその非を認め、罰を受けなければならないのである。
誰もがやっている、と隠しておいた悪事のバレた人はいう。しかし、どうなのだろうか。誰もがやっているのだから自分もやっているのであれば無罪であるということなのだろうか。誰もがやっていることを許している社会に罪があるといいたいのか。自らの意志に基づく行為ではなかったといいたいのか。どのように捉えようと、その人が行ったことは悪事である。それが突き詰められたときには、どうあがこうと、認めざるを得ない。
価格競争のため、安く米を売る必要があった。利益を求めて、安い食材を高く売れる産地のものに偽装して売った。そういうことをして、結局、破滅に至る。いや、我々をも巻き込んで、破滅に導くのである。
バレなきゃ許されるというのは間違いなのである。バレなきゃ裁かれないだけなのである。なぜバレないように隠すのか、それは裁きが下ったとき悪となるのを知っているからである。逆もまた然り。
しかしながら、何なんだろうな。もう品質の良し悪しの判断を、価格だけでなく産地でもわからなくなっているし、メーカーさえも信頼していいのかわかんなくなってる。
たとえバレなくとも、その行いが不当であり、何者かに被害を及ぼすものであるならば、その行為は、どのような言葉を用いようとも、悪なのである。それが悪なのであるから、バレた時にはその非を認め、罰を受けなければならないのである。
誰もがやっている、と隠しておいた悪事のバレた人はいう。しかし、どうなのだろうか。誰もがやっているのだから自分もやっているのであれば無罪であるということなのだろうか。誰もがやっていることを許している社会に罪があるといいたいのか。自らの意志に基づく行為ではなかったといいたいのか。どのように捉えようと、その人が行ったことは悪事である。それが突き詰められたときには、どうあがこうと、認めざるを得ない。
価格競争のため、安く米を売る必要があった。利益を求めて、安い食材を高く売れる産地のものに偽装して売った。そういうことをして、結局、破滅に至る。いや、我々をも巻き込んで、破滅に導くのである。
バレなきゃ許されるというのは間違いなのである。バレなきゃ裁かれないだけなのである。なぜバレないように隠すのか、それは裁きが下ったとき悪となるのを知っているからである。逆もまた然り。
しかしながら、何なんだろうな。もう品質の良し悪しの判断を、価格だけでなく産地でもわからなくなっているし、メーカーさえも信頼していいのかわかんなくなってる。
確かなものは、確かな手順、段取りを踏むことでそれをより確かなものにしているのだと思う。
ものの中身に違いが出るのは、手順、段取りの最中にやることの違いからなのだろう。
絵を描くにしろ音楽を作るにしろ、最後の一手までの手順、段取りを確かなものにすれば、少なくとも確かなものが作れるのではないだろうか。
ものの中身に違いが出るのは、手順、段取りの最中にやることの違いからなのだろう。
絵を描くにしろ音楽を作るにしろ、最後の一手までの手順、段取りを確かなものにすれば、少なくとも確かなものが作れるのではないだろうか。
時として悪夢はどんな夢よりも心地良い。
しかし悪夢とは夢から覚めた後に何も残さないばかりか、ただ悪夢だけが残り、そして悪夢の代償として全てを食い尽す。故に悪夢は全てを失うまで覚めることができない。それが悪夢だと気付かない限り。
夢は何かを遺す。何かを生み出し、夢を見た者へそれを与える。それが夢というものだ。
昨日は僕にとって夢か悪夢か。
今日は僕にとって夢か悪夢か。
明日は僕にとって夢か悪夢か。
夢にするのも悪夢にするのも俺次第なのだった。
しかし悪夢とは夢から覚めた後に何も残さないばかりか、ただ悪夢だけが残り、そして悪夢の代償として全てを食い尽す。故に悪夢は全てを失うまで覚めることができない。それが悪夢だと気付かない限り。
夢は何かを遺す。何かを生み出し、夢を見た者へそれを与える。それが夢というものだ。
昨日は僕にとって夢か悪夢か。
今日は僕にとって夢か悪夢か。
明日は僕にとって夢か悪夢か。
夢にするのも悪夢にするのも俺次第なのだった。
どんなパフォーマンスに俺は注目するだろうか。
初見のパフォーマーたちのパフォーマンスのどこに注目し、立ち止まり、見届けるだろうか。
ミッチーちゃんの場合。
何か、人間的な動きだと面白くないのかもな。人形的というか、チャップリン的な動きのほうがいいのかも。俺の動きがな。
箱も同様かな。
チャップリン的な動きを頭の片隅に置いてやってみよかな。
初見のパフォーマーたちのパフォーマンスのどこに注目し、立ち止まり、見届けるだろうか。
ミッチーちゃんの場合。
何か、人間的な動きだと面白くないのかもな。人形的というか、チャップリン的な動きのほうがいいのかも。俺の動きがな。
箱も同様かな。
チャップリン的な動きを頭の片隅に置いてやってみよかな。
バントラインのパフォーマンスの練習で足を引っ張ってる。
それなのに、個人練習をあまりしない。
ストモ&スロモとそれに続くパフォーマンスの二つは何か好きで楽しいけど、他があまり楽しめないでいる。実力不足とか苦手とかじゃなくて、考えがきっと足りてない。
言い訳はいくらでもできる。でも言い訳はいくらでも殺せることも知ってるつもりだ。
どうせ自分が満足できる動きはできないだろう。だから考えを変える。他人が楽しめる動きをするようにしてみよう。そう考えてみよう。
そうすればちょっとは前進するかも。
それなのに、個人練習をあまりしない。
ストモ&スロモとそれに続くパフォーマンスの二つは何か好きで楽しいけど、他があまり楽しめないでいる。実力不足とか苦手とかじゃなくて、考えがきっと足りてない。
言い訳はいくらでもできる。でも言い訳はいくらでも殺せることも知ってるつもりだ。
どうせ自分が満足できる動きはできないだろう。だから考えを変える。他人が楽しめる動きをするようにしてみよう。そう考えてみよう。
そうすればちょっとは前進するかも。
思えば高校の終わり頃から自分を見失っているのかもしれない。見失っているというより、夢から覚めてしまっている、かな。
夢中になれない。
小学・中学のころはスポーツ、高校は小説やゲームに夢中だったけれど、いま夢中というものがない。
マンガ?
あれは消費物なだけで、ある意味自らの愚かさの象徴でもある。好きで買っているが、夢中とは違うと思う。
あえて言えば音楽製作か?
でもまだ夢の中までは遠い。
自分がゲームのキャラだとして、何をすれば自分の音楽製作に夢中になれるだろう。
夢中になれない。
小学・中学のころはスポーツ、高校は小説やゲームに夢中だったけれど、いま夢中というものがない。
マンガ?
あれは消費物なだけで、ある意味自らの愚かさの象徴でもある。好きで買っているが、夢中とは違うと思う。
あえて言えば音楽製作か?
でもまだ夢の中までは遠い。
自分がゲームのキャラだとして、何をすれば自分の音楽製作に夢中になれるだろう。