逃げた?
そう、逃げたのかも。
恥ずかしいとかじゃなくて、俺の気持ちが正直にやりたいと思えないから、それが問題だった。
誤魔化しやってみたけど、やっぱボロがすぐに出た。
周りの足も引っ張った。
流されるだけだった。
楽しかったのは事実。
でも、これを一緒にやらないと仲間として認めてもらえないかもという不安があった。
でも、これからは別の方面で色々やっていこう。
まずはHP作成。
そう、逃げたのかも。
恥ずかしいとかじゃなくて、俺の気持ちが正直にやりたいと思えないから、それが問題だった。
誤魔化しやってみたけど、やっぱボロがすぐに出た。
周りの足も引っ張った。
流されるだけだった。
楽しかったのは事実。
でも、これを一緒にやらないと仲間として認めてもらえないかもという不安があった。
でも、これからは別の方面で色々やっていこう。
まずはHP作成。
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電車に乗遅れた。
バイトをもう少し早く終らせていたら、間に合った。
今日、バイト長みたいな役割は俺にあったので、俺の判断ミスだな。
ついでに言えば、もう少し体力があれば間に合った。
結局は俺自身のせいなのだ。
身から出た錆だな。
今後は同じ過ちをしないようにできるかな?
それが問題。
バイトをもう少し早く終らせていたら、間に合った。
今日、バイト長みたいな役割は俺にあったので、俺の判断ミスだな。
ついでに言えば、もう少し体力があれば間に合った。
結局は俺自身のせいなのだ。
身から出た錆だな。
今後は同じ過ちをしないようにできるかな?
それが問題。
独り言での反省は、音楽製作や毎日の日々にも言える?
いまの自分で妥協しないで、昨日いたところよりより少しでも高みへ。
あがいてみせよう。
あっと思わせられるようになってみよう。
まずは、どんな自分になりたいか。何ができるようになりたいか。考えてみようか。
いまの自分で妥協しないで、昨日いたところよりより少しでも高みへ。
あがいてみせよう。
あっと思わせられるようになってみよう。
まずは、どんな自分になりたいか。何ができるようになりたいか。考えてみようか。
センター位置。
距離間。
楽しく夢中にやる。
扉の位置。
箱の大きさ。
メリハリ。
シュって動いてピタって止まる。
MC中は多分配布物配り続けると思う。
まあ、必死になって詰まらなくやるより、気楽で楽しくやったほうがいいよね。
もう焦っても仕方ないし、やれるだけのことをやろう。
距離間。
楽しく夢中にやる。
扉の位置。
箱の大きさ。
メリハリ。
シュって動いてピタって止まる。
MC中は多分配布物配り続けると思う。
まあ、必死になって詰まらなくやるより、気楽で楽しくやったほうがいいよね。
もう焦っても仕方ないし、やれるだけのことをやろう。
センター位置。
距離間。
楽しく夢中にやる。
扉の位置。
箱の大きさ。
メリハリ。
シュって動いて
距離間。
楽しく夢中にやる。
扉の位置。
箱の大きさ。
メリハリ。
シュって動いて
今日は路上パフォーマンスやる日じゃー!
夢中になってやろう。
そしたら中途半端なことにはならんだろう。
あとはやってしまうだけなのだ。
なるようにやっていこう。
夢中になってやろう。
そしたら中途半端なことにはならんだろう。
あとはやってしまうだけなのだ。
なるようにやっていこう。
今日は大学で所属していたサークルの行う芝居があったので、それを見てみた。
心を揺さぶられるようなことがなかった。
物語にも、演技にも、演出にも。
芝居である必要性があったのだろうかとも思う。
舞台に立つ役者は淡々と台詞を吐き出し、物語が刻々と進んでいくだけであった。
脚本は物語を見せる。役者は人間を見せる。演出はそれらを引き立たせる。
退屈な芝居だったということ。
どうすれば退屈じゃなかったろうか。ここでそれを考えなければ、損なのだ。
物語がどうあれば、楽しめただろう。まず、葛藤がなければ物語は楽しめないだろう。葛藤とは? ある形ではそれは悩みであり、またある形ではそれは障害である。大げさに言えば、「私と仕事、どっちが大事なの?」という問いに対して、真剣に答え、行動しなければならない状況がそうであるともいえるだろう。仕事を取れば恋人が仕事の障害となり、恋人を取れば仕事が恋の障害となる。どちらにすべきかという悩み、どちらかにしなければならないという強制。制限時間がついているとなおその葛藤は明確なものになる。どちらも取ろうとしたとしても、状況がそれを許さなくさせるのである。この葛藤を解いたときに起きるのが、カタルシスなのだ。カタルシスをより良いものにするには、葛藤の渦中にいる人物が行う決定に尊さを感じさせるものが良いだろう。その人物の取った行動の裏にある意味が、理屈だけではなく、感情として理解できるものが。納得できるものでなくても、それもありえると思わせれば。少なくとも葛藤は必須なのだろう。
役者がどうあれば、楽しめただろう。これについてはよくわからない。けれど、少なくとも、人間味が出ていなければ、楽しめないなとは感じた。人間らしさといえばいいのか。まあ、これが難しいのだとおもうけど。自然な振る舞いでなくてもいいのだと思う。人口的な、わざとらしい立ち振る舞いでもいいから、、、ってそうじゃないか。まず役者が楽しんで、夢中になって動くことができたらいいのかもね。何かから動かされるように演じているのを見ても、楽しくなかったもの。
演出がどうあれば、楽しめただろう。脚本の中身にもよるのか? いまでも残っているかつての反省で学んだことは、できる限り色々な表現を試して見なければわからないということか。思いつきでやってみて、面白かったら取り入れ、つまらなかったら止める。それの繰り返しなのかも。
物語については語れるけど、ほかについてはあまり語れないね。
でも、まあプロの劇団じゃないんだし、あれでいいっちゃいやいいのかもしれない。
俺も芝居の台本書いてみようかしら。後学のために。
心を揺さぶられるようなことがなかった。
物語にも、演技にも、演出にも。
芝居である必要性があったのだろうかとも思う。
舞台に立つ役者は淡々と台詞を吐き出し、物語が刻々と進んでいくだけであった。
脚本は物語を見せる。役者は人間を見せる。演出はそれらを引き立たせる。
退屈な芝居だったということ。
どうすれば退屈じゃなかったろうか。ここでそれを考えなければ、損なのだ。
物語がどうあれば、楽しめただろう。まず、葛藤がなければ物語は楽しめないだろう。葛藤とは? ある形ではそれは悩みであり、またある形ではそれは障害である。大げさに言えば、「私と仕事、どっちが大事なの?」という問いに対して、真剣に答え、行動しなければならない状況がそうであるともいえるだろう。仕事を取れば恋人が仕事の障害となり、恋人を取れば仕事が恋の障害となる。どちらにすべきかという悩み、どちらかにしなければならないという強制。制限時間がついているとなおその葛藤は明確なものになる。どちらも取ろうとしたとしても、状況がそれを許さなくさせるのである。この葛藤を解いたときに起きるのが、カタルシスなのだ。カタルシスをより良いものにするには、葛藤の渦中にいる人物が行う決定に尊さを感じさせるものが良いだろう。その人物の取った行動の裏にある意味が、理屈だけではなく、感情として理解できるものが。納得できるものでなくても、それもありえると思わせれば。少なくとも葛藤は必須なのだろう。
役者がどうあれば、楽しめただろう。これについてはよくわからない。けれど、少なくとも、人間味が出ていなければ、楽しめないなとは感じた。人間らしさといえばいいのか。まあ、これが難しいのだとおもうけど。自然な振る舞いでなくてもいいのだと思う。人口的な、わざとらしい立ち振る舞いでもいいから、、、ってそうじゃないか。まず役者が楽しんで、夢中になって動くことができたらいいのかもね。何かから動かされるように演じているのを見ても、楽しくなかったもの。
演出がどうあれば、楽しめただろう。脚本の中身にもよるのか? いまでも残っているかつての反省で学んだことは、できる限り色々な表現を試して見なければわからないということか。思いつきでやってみて、面白かったら取り入れ、つまらなかったら止める。それの繰り返しなのかも。
物語については語れるけど、ほかについてはあまり語れないね。
でも、まあプロの劇団じゃないんだし、あれでいいっちゃいやいいのかもしれない。
俺も芝居の台本書いてみようかしら。後学のために。
水曜と木曜は授業、金曜は卒論とか就職活動とかで大学に行く予定。
生活リズムをどう取り戻すかが今後の課題。
生活リズムをどう取り戻すかが今後の課題。
いくら嘆こうとも、この世界から憂いがなくなることはないでしょう。
いくら怒ろうとも、この世界から憎しみが果てることはないでしょう。
いくら逃げようとも、この世界から苦しみは着えないでしょう。
せめて、この世界を楽しもう。
いくら怒ろうとも、この世界から憎しみが果てることはないでしょう。
いくら逃げようとも、この世界から苦しみは着えないでしょう。
せめて、この世界を楽しもう。
この世に純粋な労働力などない。経済力もない。創造力もない。消費力もない。生産力もない。
ここにいるのはただ人間だ。
ここにいるのはただ人間だ。