後輩のmixiを見ると、サークルのことについて触れられていたりする。
仲良くやっているようだ。表面上を見る限りは。
けれど、実際どんな感じで舞台づくりが進んでいるのかは、知らない。
どのくらいの高みを目指しているのかも、知らない。
少なくとも、お金を取るだけのモノを目指しているのだとは思う。
俺は、どうしても見返りというものを考えてしまう性格だから、そう思うのだ。
少なくとも、お金を出した意味のあるモノにしなければ、いけないのだと思ってしまうのだ。
意味だよ。意味。価値じゃない。意味なんだ。
14歳の国を読んだ。
喜劇か、これは難しいなぁ。
物語は起伏がなく、淡々と進み、淡々と終わる。
その中で、五人の登場人物の引き起こす齟齬や、どうしようもなさというものを楽しませる内容になっているのだろう。
登場人物の五人が、それぞれに、異なった常識を持っていて、異なった現実の捉え方をして、行動をする。
そんな当たり前のことを、舞台上で表現しなければならない。さらに、それを「笑い」の方向に持っていかなければならないのである。最初から、最後まで。シリアスな場面さえもどこか可笑しくなくてはならない。
十二人の優しい日本人という三谷幸喜の喜劇がある。あれに良く似た作品といえばいいだろうか。けれど、似ているだけで、その実、14歳の国には漠然と捉えられるテーマがない。シュールなのだ。14歳の国は、その無意味さを笑う種類の喜劇なのだと、俺は思う。
だから、論理性が魍魎みたいなものになっている。漠然としないものになっている。それが何であるかわからなくなっている。だから、なぜ? に答えられない構造になっている。その登場人物が起こした行動に、一般的な回答を与えられない作りになっている。
芝居は、台本じゃない。肉体を持った人間が、肉体を行使して、行動することでそこに生み出される現実だ。それがたとえフィクションであろうと、目の前で起こっていることなんだ。
だから、台本を読んだだけでそれが面白いか詰まらないかを判断することは難しい。
台本は、ただの皿のようなものだ。その上に盛り付けられる素材が役者であり、装置であり、衣メ小であったりし、盛り付け方を決めるのが演出なのだ。
だから、面白くなるのも、詰まらなくなるのも全てはキャストとスタッフ次第だ。
そして、器は決して悪いものではないと思う。
思考のめぐるままに書いてみたが、結局のところ、良い芝居を作ってくれればいいな。
仲良くやっているようだ。表面上を見る限りは。
けれど、実際どんな感じで舞台づくりが進んでいるのかは、知らない。
どのくらいの高みを目指しているのかも、知らない。
少なくとも、お金を取るだけのモノを目指しているのだとは思う。
俺は、どうしても見返りというものを考えてしまう性格だから、そう思うのだ。
少なくとも、お金を出した意味のあるモノにしなければ、いけないのだと思ってしまうのだ。
意味だよ。意味。価値じゃない。意味なんだ。
14歳の国を読んだ。
喜劇か、これは難しいなぁ。
物語は起伏がなく、淡々と進み、淡々と終わる。
その中で、五人の登場人物の引き起こす齟齬や、どうしようもなさというものを楽しませる内容になっているのだろう。
登場人物の五人が、それぞれに、異なった常識を持っていて、異なった現実の捉え方をして、行動をする。
そんな当たり前のことを、舞台上で表現しなければならない。さらに、それを「笑い」の方向に持っていかなければならないのである。最初から、最後まで。シリアスな場面さえもどこか可笑しくなくてはならない。
十二人の優しい日本人という三谷幸喜の喜劇がある。あれに良く似た作品といえばいいだろうか。けれど、似ているだけで、その実、14歳の国には漠然と捉えられるテーマがない。シュールなのだ。14歳の国は、その無意味さを笑う種類の喜劇なのだと、俺は思う。
だから、論理性が魍魎みたいなものになっている。漠然としないものになっている。それが何であるかわからなくなっている。だから、なぜ? に答えられない構造になっている。その登場人物が起こした行動に、一般的な回答を与えられない作りになっている。
芝居は、台本じゃない。肉体を持った人間が、肉体を行使して、行動することでそこに生み出される現実だ。それがたとえフィクションであろうと、目の前で起こっていることなんだ。
だから、台本を読んだだけでそれが面白いか詰まらないかを判断することは難しい。
台本は、ただの皿のようなものだ。その上に盛り付けられる素材が役者であり、装置であり、衣メ小であったりし、盛り付け方を決めるのが演出なのだ。
だから、面白くなるのも、詰まらなくなるのも全てはキャストとスタッフ次第だ。
そして、器は決して悪いものではないと思う。
思考のめぐるままに書いてみたが、結局のところ、良い芝居を作ってくれればいいな。
非ループ曲を作ろう。
いままでループ曲しか作ろうとしなかったし、事実ループ曲しか作らなかった。
そろそろ、起承転結のはっきりした曲を作ってみたほうがいいと、自分でそう思ったのだ。
というわけで頑張って作ってみよう。
いままでループ曲しか作ろうとしなかったし、事実ループ曲しか作らなかった。
そろそろ、起承転結のはっきりした曲を作ってみたほうがいいと、自分でそう思ったのだ。
というわけで頑張って作ってみよう。
バイト先の時給と一日の労働時間を照らし合わせてみると、大体三日で一万円稼いでいるということになる。
そして、なぜかわからないが週に五日とか六日のペースで現在アルバイトをしている。
来週は月曜日しか休みがないのである。
まあ、後期の授業が始まったら週に四回程度に落ち着くだろう。
となると、月に五万程度のお金が入るわけだ。
金は何に変わるだろう?
マンガ、音楽製作のためのソフト、ギターの弦、もしかしたらベース。食事代。そんぐらいだろう。
とりあえず、9月から12月までの四ヶ月間に、10万円貯めてみよう。
何に使うわけでもないけど、そういう目標は立てて損じゃないと思うんだ。
ある課題を達成することが、ゲームの目的である。
そして、課題の達成を阻むルールや存在が、それをゲームとして成り立たせる。
対立する課題を持つものでは、鬼ごっこが例に挙げられる。
課題を同じくするものでは、徒競争が例に挙げられる。
また、なぞなぞもそういったゲームのひとつだろう。けど、どう説明すればいいかわからない。
他にもあるかもしれない。
そして、課題の達成を阻むルールや存在が、それをゲームとして成り立たせる。
対立する課題を持つものでは、鬼ごっこが例に挙げられる。
課題を同じくするものでは、徒競争が例に挙げられる。
また、なぞなぞもそういったゲームのひとつだろう。けど、どう説明すればいいかわからない。
他にもあるかもしれない。
鬼十則
4代目社長吉田秀雄により1951年につくられた、電通社員の行動規範。来日したGE社長に英文版を贈ったとも言われる。
- 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
- 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
- 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
- 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
- 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
- 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
- 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
- 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
- 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
- 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
責任三カ条
4代目社長吉田秀雄によりつくられた。現在は使われていない。
- 命令・復命・連絡・報告は、その結果を確認しその効果を把握するまではこれをなした者の責任である。その限度内に於ける責任は断じて回避出来ない。
- 一を聞いて十を知り、これを行う叡智と才能がないならば、一を聞いて一を完全に行う注意力と責任感を持たねばならぬ。一を聞いて十を誤る如き者は百害あって一利ない。正に組織活動の癌である。削除せらるべきである。
- 我々にとっては、形式的な責任論はもはや一片の価値もない。我々の仕事は突けば血を噴くのだ。我々はその日その日に生命をかけている。
コンシェルジュというマンガの、第60話より抜粋。
説得力がないからじゃない、あんたに…
納得力が足りんっ!!
一から十まで他人に説得してもらわなければ動かん気かっ!!
他人のいうことなど十のうち五も うなずければ御の字!!
説得力が三なら納得力で七を足してまず動け!!
間違ったら軌道修正して動け!!
わかるな!?
どうしたっ!!
なんというか、納得力っていうのは言い換えれば理解力なのかもしれないな。
と、そんなことを思ったので、納得力について上記の文を掲載した。
たとえ自分の持っている意見と反していても、納得ができれば受け入れることはできるはずだ。
また、現状に納得さえできれば、何かに向かって動き出すこともできる。
まあ、とりあえず納得して動いてみるって大切なことだよね。
理想論に過ぎないかもしれないけど、出来る限り理想は追うためにある。
説得力がないからじゃない、あんたに…
納得力が足りんっ!!
一から十まで他人に説得してもらわなければ動かん気かっ!!
他人のいうことなど十のうち五も うなずければ御の字!!
説得力が三なら納得力で七を足してまず動け!!
間違ったら軌道修正して動け!!
わかるな!?
どうしたっ!!
なんというか、納得力っていうのは言い換えれば理解力なのかもしれないな。
と、そんなことを思ったので、納得力について上記の文を掲載した。
たとえ自分の持っている意見と反していても、納得ができれば受け入れることはできるはずだ。
また、現状に納得さえできれば、何かに向かって動き出すこともできる。
まあ、とりあえず納得して動いてみるって大切なことだよね。
理想論に過ぎないかもしれないけど、出来る限り理想は追うためにある。
『和声の原理と実習』と『エフェクトテクニック基礎講座』いう本を買ってみよう。
和声の理論についての知識を知っていれば、作曲作業がさらにスムーズにいくようになるかもしれない。エフェクトテクニックの知識は必須だ。ただの徒労に終わるとは思わない。もしただの徒労に終わるようであれば、俺のやり方が拙いのだろう。
まあとにかく買って、読んで、実践だ!
和声の理論についての知識を知っていれば、作曲作業がさらにスムーズにいくようになるかもしれない。エフェクトテクニックの知識は必須だ。ただの徒労に終わるとは思わない。もしただの徒労に終わるようであれば、俺のやり方が拙いのだろう。
まあとにかく買って、読んで、実践だ!
信じることは疑うこと。
疑うことは信じること。
信じないということは、疑わないということ。
疑わないということは、信じないということ。
疑いようもないことは、信じようもないこと。
信じようもないことは、疑いようもないこと。
疑うことは信じること。
信じないということは、疑わないということ。
疑わないということは、信じないということ。
疑いようもないことは、信じようもないこと。
信じようもないことは、疑いようもないこと。