しかし人気がすごいらしく、在庫がないらしい。
四月には入ってくるらしいから、それまで我慢しておこう。
あれは買って損ではないと思う。
ぐうたらで、どうしようもないのが人間的なことなんじゃないかなと思うんだ。
だから、無理に型にはまり続けることもない。
なんというか、ぐうたらで、どうしようもない俺でも居場所がある。そう感じることができている。
そう感じることができない人もいる。どうしてだろう。
ぐうたらで、どうしようもない自分がいや?
なんでだろう。何もしないわけじゃないのに。
色々考えてしまうけどこんくらいにしておこう。
第2章 3和声の配置
1.4声体
和声法の実習においては、ふつう混声4部合唱の形が用いられる。すなわち、一つの和音は四つの声部(ソプラノ・アルト・テノール・バス)で表される。これを4声体という。
2.声部の分類
4声体における外側の2声部(ソプラノとバス)を外声、内側の2声部(アルトとテノール)を内声という。
また上方の3声部(ソプラノ・アルト・テノール)を上3声、下方の3声部(アルト・テノール・バス)を下3声という。
3.配置
3和音の構成音を四つの声部に割りあてて4声体の形に作り上げることを3和音の配置という。配置にあたっては次の事柄を知らなければならない。
1)声部の音域
四つの声部はそれぞれ特定の音域を持っており、各声部はこの音域を守らなければならない。
下例中、()内の音域は例外的にだけ用いうる。
ソプラノ C5~A6(B♭6)
アルト G4~D6(E6)
テノール C4~A5(B♭5)
バス (E3)F3~E5
2)構成音の重複
本来三つの構成音からなる3和音を四つの声部に配置するためには、必ずどの音かを重複しなければならない。
原則として根音を重複するのが最も良好である。しかし場合によっては5音または3音を重複してもさしつかえない。
最も良好
cg<e<c
良好
cg<eg
cg<e<e
3)構成音の省略
省略は一般に避けたほうが良い。しかし場合によっては5音を省略することができる。
五音省略
c<ce<c
これに反して根音と3音とは省略できない。
4)声部間の間隔
各声部の間隔は、だいたい次のように制限される。
ソプラノ――アルト間:オクターブ以内
アルト――テノール間:オクターヴ以内
テノール―――バス間:12度(複5度)以内
5)交叉
四つの声部が定められた上下の順序を取り替えて配置されることを交叉という。
交叉は必ずしも不可能ではないが、無益な混乱を避けるため始めのうちは行わないほうがよい。
※与えられたバスの上に上3声を配置する仕方は大別して密集配置と開離配置の二種類がある。
密集配置:バスの音を根音として、上3声に三つの構成音を一つずつ積み上げる。
C eg<c
C g<ce
C <ceg
C <eg<c
C <g<ce
開離配置:バスの音を根音として、各声部の間に構成音1個ぶんだけの間隔をあけながら上3声に三つの構成音を一つずつ積み上げる。
C e<cg
C g<ec
C <cg<e
第一章 和音の基礎
1.調性と主音
調性とは、主音と呼ばれる1個の中心音を基礎として形成される特定の音関係をいう。
この音関係は音階の形で表される。
2.音階
音階とは、一定の秩序で配列された音の階段をいう。
音階は主音から主音までの8個の音を含んでいる。
cdefgabc(オクターブ)
3.長音階と短音階
音階を構成する各音相互間の音程関係によって、長音階と短音階の2種に分れる。
長音階cdefgabc 2212221
短音階cde-fga-b- 2122122
長音階によって表される調性は長調と呼ばれる。
短音階によって表される調性は短調と呼ばれる。
4.24個の調性
音楽に用いられる12の音は、いずれも主音としてそれ自身音階の基点となりうる。
この場合、主音として採用された音の音名が調性の呼び名となる。そこで例えば、
Cを主音とする長音階によって表される調性はC長調とよばれる。
Aを主音とする短音階によって表される調性はA短調と呼ばれる。
このようにして、それぞれ12の音を主音とする長調と短調、合わせて24個の調性が存在する。
5.7個の音度
音階を構成する各音は音度とよばれる。
主音はⅠ度とよばれ、以下順次に上方に向かってⅡ度・Ⅲ度……と数えられる。
C長調 c d e f g a b c
Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅵ Ⅶ (Ⅰ)
A短調 a b c d e f g a
Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅵ Ⅶ (Ⅰ)
6.和音
和音とは、一定の秩序によって組み合わされたいくつかの音の集団をいう。
ある音の上にその3度と5度の音を積み重ねた和音を3和音という。
最初にとられた基礎音を根音、3度上の音を3音、5度上の音を5音という。
音階の各音度上にはいずれも3和音を構成しうる。これらはⅠ度の和音・Ⅱ度の和音……とよばれる。
C長調
Ⅰ ceg
Ⅱ dfa
Ⅲ egb
Ⅳ fac
Ⅴ gbd
Ⅵ ace
Ⅶ bdf
A短調
Ⅰ ace
Ⅱ bdf
Ⅲ ceg
Ⅳ dfa
Ⅴ egb
Ⅵ fac
Ⅶ gbd
8.構成上から見た3和音の種類
これらの3和音は、それを構成する三つの構成音相互の音程関連によって次の3種類に分けられる。
長3和音
長調のⅠ・Ⅳ・Ⅴ
短調のⅢ・Ⅵ・Ⅶ
短3和音
長調のⅡ・Ⅲ・Ⅵ
短調のⅠ・Ⅳ・Ⅴ
減3和音
長調のⅦ
短調のⅡ
9.同一和音の種々の形態
和音は実際には上に上げたような原形のままで用いられることはむしろきわめてまれであり、多くの場合次のようなしかたで変形されている。
1)和音構成音の一つまたは数個をそのオクターヴ上の音によって取り替えることができる
原形
ceg
構成音の移動
cge
ce<g
c<eg
2)また、和音構成音の一つまたは数個を、そのオクターヴ上で重複することができる
原形
ceg
構成音の重複
ceg<c
ceg<e
ceg<ce
3)上の二つのしかたを混合することができる
原形
ceg
構成音の移動と重複
cg<ce
ce<cg
cg<e<c
要するに、和音は同盟の構成音から成り立っている限り、その構成音がどのように置き換えられ、またどのように重複されていても常に同一の和音である。
たとえば上に上げた和音はいずれもc・e・gの三つの構成音のみからなりたっているから、全部同一の和音である。
毎月3万は支給される。
3万あれば生活には困らないわけだよ。
音楽機器はもう充分にあるといってもいいわけだよ。
ま、ちょっと欲しいものがあるといえばあるけど、それはどうせ長く使いそうにないしなぁ。
お金じゃ買えないものが、いま欲しいんだろうなぁ。
経験というやつか。
まあ頑張るか。
cdg C sus2 Root
G sus4 1st in version
D 7sus4 2nd in version
cd+f F 7 1st in version
cd+f+ C - Root
cd+g C Min root
cd+g+ C Min+5 Root
G# Maj 1st in version
cd+a A - 1st in version
ceg C maj Root
E Min+5 2nd in version
ceg+ C + Root
G# + 1st in version
E + 2nd in version
cea A Min 1st in version
cfg C sus4 Root
G 7sus4 1st in version
F sus2 2nd in version
cfg+ F Min 2nd in version
cfa A Min+5 1st in version
F Maj 2nd in version
cfa+ C 7sus4 Root
A# sus2 1st in version
F sus4 2nd in version
cf+a F# - 2nd in version
cga+ C 7 Root
二和音
ドとレ D 7の第一回転系
ドとミ C maj
ドとファ F majの第一回転系
ドとソ C maj
ドとラ A Minの第一回転系
ドとシ 和音として成立しない
ドとド♯ 和音として成立しない
ドとレ♯ C Min
ドとファ♯ 和音として成立しない
ドとソ♯ G# Majの第一回転系
ドとラ♯ C 7
食費に15k、漫画に10k、交遊日に5k、これだけで充分な気がしないでもない。
極端な話、バイトで稼いだ金は使いたいだけ使える。
でも使いたくない。
なぜか。それは、何らかの活動に必要なお金だからだ。
散歩猫とか、色々。
なので滅多に使いたくない。
さらに、三年になったらバイトを辞めるつもりなので、卒業までの資金を残しておきたいのだ。
とりあえず30万貯めよう。貯めたら、計画的に切り崩そう。
必要なときにだけ、お金を使おう。
五分前世界創造仮説とは、「私たちが現在もっている一切の記憶を備えたかたちで五分前に世界は創造された」という仮説のことである。また、ここでいわれる五分前は例えであり、別に五秒前であっても五時間前であってもいい。
この仮説によって主張されていることは、私たちにとって確実なのは「いま現在記憶している」ということだけである。そして、その記憶の内容が誤っている可能性があるが、それについて確認することができないということである。ここで言われる誤った記憶というのは、過去の出来事と記憶している内容との間に不一致のあるもののことである。
つまり、この仮説では、記憶であれ記録であれ、それでは「過去そのもの」を直接知ることができないということが主張されているのである。
私は、この主張から過去というものについての捉え方がふたつあるのではないかと思う。
ひとつは実在的な過去であり、もうひとつは構成的な過去である。実在的な過去とは、つまり自然的な「過去そのもの」という意味であり、構成的な過去とは、つまり記憶や記録から作られた人工的な、いわゆる「歴史」と呼ばれるものである。
そして、この仮説は我々にとって過去というものは実在的なものでなく、構成的なものであるのではないかということを主張しているのではないかと、私は思う。つまり、私たちにとって過去とは、私たちの記憶や記録から作り出された、歴史でしかないといえるのではないだろうか。
そして、私は、この仮説は、たとえ私たちの記憶や記録が誤っていたとしても、それによって歴史を作り上げることができてしまうというということをほのめかしているのではないかと思うのだ。
できるだけ暗記。要所要所覚えて、自分で作り直してもよし。
まあ大丈夫だろう。。。きっと。