考えたら、大学ある日は自由時間が六時間。ない日は十時間ある。
インターネットばっかやってる場合じゃないって!
一日に90分でもいいから集中してやれば、毎日持続できればスゴい時間になる。
あとは楽しくやれればいいかな。
荒れすぎだ。
何とか改装した部屋のイメージができたので、それに向かって掃除するのみだ。
しかし、これからバイトなのである。
頑張ろう。
目立つな。
使えない部下の法則
1.どんな簡単な仕事でも、解決不可能な状態にできる。
2.当然の前提を、さも自分が発見したかのように語り始める。
3.とにかく前置きが長い。
4.間の悪いときに大声で笑い、部署全体の顰蹙を買う。
5.めずらしく頑張ったときに限って、最初の立脚点から間違っている。
6.人は良いが、運には完全に見放されている。
使えない上司の法則
1.壮大なビジョンを持っているように見えるが、実現への方法論は何もない。
2.仕事の仕上がり直前に、全ての努力を無にするようなダメ出しをする。
3.早口で言葉が不明瞭なのに、聞き返すと「人の話を聞かない」と言う。
4.お客や取引相手を前にすると、偉そうに部下を怒鳴る。
5.部下のやる気をなくさせる皮肉にかけては天才的
6.部下に恥をかかせてやれば、自分の偉さがわかると思っている。
人の上に立つ人の条件
1.傍若無人なところがある。
2.頭の回転が速いか、気が短いか、あるいはおっちょこちょいである。
3.自分の力のおよばないところについては、無関心である。
4.数字には強いが、無頓着である。
5.記憶力が良いか、またはあてずっぽうが得意である。
ベテランの法則
ベテランとは、やらなくていいことをやらない人である。
上司の定義
1.意見を聞いても、具体的な回答はない。
2.部下が意見を具申すると、必ず反対意見を出す。
※続・マーフィーの法則~現代日本の知性~の上司と部下編から引用。
一人は選択肢が存在しない。
他のキャラクターの選択肢が影響。
一人は選択肢は自分のためだけに存在する。
他のキャラクターの選択肢はの影響も受けない。
もう一人は、選択肢が存在し、かつ他のキャラクターの選択肢の影響を受ける。
最低でもこの三つ。
どうしても欲しいモノはもう手に入れたし、そこまで金のかかるモノはもうない。
せいぜい交通費、食費、マンガ代くらいしか金を使うところがない。
服代? もう充分持ってるよ。
そんなわけで貯金だ。欲しいモノができたときに、すぐに買えるように貯金である。
この記事を読んでみて、マルチエンディングをそう捉える人もいるんだなと思った。
>エロゲ・ギャルゲで、主人公の選択肢で結ばれる相手が変わるというのが好きじゃない。
>主人公が浮気性で変節漢の軟弱者に思えてしまうからなのだ。
>「え、何?この主人公はその人を愛してるんじゃ無くって、状況的にそうなったからつきあってんですか!?それ酷くない?」という。
そんな風に書いてあるけれど、それは違うんじゃないかなと思う。
結論から言えば、「その主人公は、その人を愛せるようになったから、付き合うことができるようになるんじゃないの? つーか、つかつか、主人公がその人を愛するためじゃなくて、その人に愛するために選択肢があるんじゃないか」ということだ。
こっちが一方的に好きで向かっていっても、相手がこっちを好きじゃなかったら、それはストーカーじゃないのか? 友人が言っていたが、「ゲームをクリアをするためにはその相手をストーキングすることだ」と言っていた。
ヒロインは無条件に主人公を好きになってくれるわけではない。ヒロインが好きになってくれる道筋を選んでいるのだ。だから、「こちらが愛しているだけで付き合うことができない」のだ。状況的にそうなることができたから、「付き合える」のではないかと思うのだ。
主人公が、一方的な権力でもってその相手と付き合うわけじゃないのだ。というか、ゲームなんだ。要するにあるキャラクターとのフラグを立て、成立させることが趣旨なのだ。だから、繰り返すことができるのだし、どのキャラクターのフラグを立ててもいいのである。自分としては、キャラクターによってフラグの立てやすさ、つまり難易度に違いがあっても面白いんじゃないかと思ってしまうが多分そんなゲームは一般に好まれないのだと思う。ああ、でもそういうゲームも作ってみると面白いかもなぁ。ツンデレが難易度高そうだがw
そんな考えもあって、マルチエンディング自体にはあまり抵抗を感じない。というか、クリアした相手が、繰り返しの中で、同じ道筋を辿らない限り主人公を恋愛対象としてみていない(フラグが立っていない)のだから、そんなことに抵抗を感じても、、、と思ってしまう。もしかしたら主人公さえその相手を恋愛対象としてみてないのかもしれないのに。
マルチエンディングってのは、人間の自由意志を表現してるともいえるんじゃないかな? 絶対に結ばれる運命の人との出会い、運命という檻があるという考えに対する、意志と行動によって結果が多様に存在するという自由という考えを、表しているんじゃないか。多少、思い込みのあるところはあると思うが、そう考えることもできる。
そんなことを、上記のアドレスのダイアリーを読んで考えてしまった。どうしようもない!
6 :名無しさん名無しさん:2007/09/28(金) 23:34:11
【勝者と敗者分ける10の法則】
1. 勝者は間違ったときには「私が間違っていた」と言う。
敗者は「私のせいではない」と言う。
2. 勝者は勝因は「運が良かった」と言う。例え運ではなかったとしても。
敗者は敗因を「運が悪かった」と言う。でも、運が原因ではない。
3. 勝者は敗者よりも勤勉に働く。しかも時間は敗者より多い。
敗者はいつでも忙しい。文句を言うのに忙しい。
4. 勝者は問題を真っ直ぐ通り抜ける。
敗者は問題の周りをグルグル回る。
5. 勝者は償いによって謝意を示す。
敗者は謝罪をするが同じ間違いを繰り返す。
6. 勝者は戦うべきところと妥協すべきところを心得ている。
敗者は妥協すべきでないところで妥協し、戦う価値がない所で戦う。
7. 勝者は「自分はまだまだです」と言う。
敗者は自分より劣るものを見下す。
8. 勝者は自分より勝るものに敬意を払い学び取ろうとする。
敗者は自分より勝るものを不快に思い、アラ捜しをする。
9. 勝者は職務に誇りを持っている。
敗者は「雇われているだけです」と言う。
10. 勝者は「もっと良い方法があるはずだ」と言う。
敗者は「何故変える必要があるんだ?今までうまくいっていたじゃないか」と言う。
自分を隠すために、人と関わることも、何をすることもしないようにするのである。
ある意味、瞑想に近いのかもしれない。
それをやってみて分かるのは、自分という存在がどうしてもあるということなのだ。
ある意味、自分探しの結果のひとつなのかもしれないと思ったりもする。